「髪、相当伸びたんだな」
「ええ、切るのも面倒だったので」


『髪?伸ばしませんよ』
『でも、弁慶の髪はすごく綺麗だから』
『…ヒノエのように、女性と間違える子もいるかもしれませんし、
なにより、長いのは好きじゃないし。…面倒くさいから』



「…なあ、あの大将が髪を切ったらあんたも切るの?」
「…なに馬鹿な事を言っているんですか。どうしてそんなふうに思うんです?」
「…めんどうくさい、んだろ」

知っている。あれほど嫌がっていたのにこいつが髪を伸ばす理由。
ただ、俺が幼い頃憧れつづけた稲穂色の輝きが、そんなつまらない理由で
実現され、そして普段は隠されているなんて思いたくもなかったから。

「…よく、わかってるじゃないですか」

そう言って、困ったように微笑むから。
つきりと痛むのは胸の奥。
あの遠い日に置き去りされた小さな俺の哀しみの残像が"待って"と声を上げた。
その切なさに一瞬息が詰まる。

一瞬揺れたであろう、俺の視線を汲み取ってなのか
白い指はあの日のように自分勝手に差し伸べられた。

「ヒノエは、綺麗に髪を結っているんですね」
「…あんたみたいに面倒くさがりじゃないからね」

指先が、髪を滑る感覚。愛でられている錯覚。

「手をかけるだけの価値がある、んですよ。…似合っています」
「きもちわりい」

心地いい、とは言わない。あいつがその決心を取りやめるまで。



++++++++++


紅蓮の炎。京を埋め尽くす屍。煙。熱。嘲笑。
悲鳴、絶望、ただ全ては紅に埋め尽くされてゆく。

『紅は命の色ですよ。血の色、夕日の色、それは大切なものの色です』
『ヒノエの髪と目の色は大切なものの証。だからそれを誇りになさい』

そう言って、黄金色の髪を羨ましがったちいさな俺に笑顔をくれた。
でも、今その紅は京を覆い尽くし、追っ手となってヤツが守りたがった白い背中を追随する。

「…九郎義経!覚悟!」
袋小路に追い詰められて、振りかえる面差し。
その口元にはこの絶望の紅に不似合いな程妖艶な笑みが浮かべられている。
憎しみにも慈しみにも見えるように瞳を細めて、壮絶に、笑った。

「…やはり、全ての人が九郎の顔を知るわけありませんよね」

紅に照らされた黄金色は燈色に輝き、普段より高い位置に結い上げられた
髪は炎に焼かれ少しだけ短くなった…ように見えるだろう。
すべてはこのときのための策略。不敵に唇の端を持ち上げて嘲笑う。
自分自身を、運命を。そして、この京の惨状を。

「…の京に、…君に仇なすもの。少しだけでも減らしておきましょう」

手を、かざす。
そこから熱い風に煽られて宙に舞うもの。
その向こうから、覗く変わらない微笑。


『大切なものです』


紅蓮の業火が、辺り一面を被い尽くした。




皮肉な事に、いやそれもあいつの筋書きのひとつなのかもしれない。
模した相手より明らかに華奢な肩に、似合いもしない白い衣を纏った背中。
ただそれをずっと守りたがった男にではなく、俺だけに晒して市井に消えた。

「…ヒノエくん!!」
「…他の奴はどうなった…?!」

聞きなれた声。ひとつは愛しむべき姫君の、そしてもうひとつは。
「…弁慶は?景時は?源氏の軍はどうしたんだ…!」

何も知らない声。
幾年月も前からこのときのために
その姿の空蝉になるために育まれたものがあることさえ。


どうして


叫びだしそうだった。
この胸に燻る慟哭。選ばれなかった苛立ち。
そして、最期を預けられたのは…多分肉親としてだけの信頼。


不意の激情をやり過ごそうと瞼を落とせば、瞳の裏は燃えるように紅く。
あたりを巡る炎の色でも、遠い昔眺めた夕日の色でもなくだた。
…ああ、たぶんこれは嫉妬の色だ。

「…さあ、どうなったのかな…この状況だし、ね…。」

理解しがたい感情は炙るように心を、思考を焦がし、
まるで焼け落ちるように決意は容易に胸に宿る。

…あいつが胸に秘めた決意はこいつには伝えない。伝えてなどやらない。
まるで、想いつづけるように培われた慕情のような
執着のひとかけらでさえも。
…そしてそれも計算高いあの男の策略なのだと。


口の端を引き上げて、嘲笑って見せれば
このつくりの似た顔はあのときの彼の面影を映すのだろうか。

『君は、何も心配しなくてもいい』

そう聞こえたような気がして、奥歯を噛み締めた。

痛みを堪えるために。
それはあいつの『君』に選ばれなかった、小さな心が泣き叫ぶいたみに。

 
046.いたみ 

ヒノエ視点の九弁。ちょっと切ない感じで。
この後、コスプレのままひょこひょこ弁が戻ってくるので死にネタではないつもりなのですが
どんよりした気分になってしまいましたらすみません。

2005/09/XX
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