「……九郎?」
肩口に埋められる顔に、くすぐったさを感じて身を捩れば
「……日向のにおいがするな」
くぐもって聞こえる、その声。
「お前はいつも、俺には陽の匂いがするというが…今日はお前からも日向の匂いがする。」
大きな栗毛の犬がするように、すんすんと息を吸い込む所業に
子供っぽさを感じて苦笑が漏れた。
「……今日は炎天下、いろいろなところを回りましたからね。
九郎も率先して散策に加わっていたじゃないですか」
「……お前の故郷だ。どんなところか興味をもった」
「ありがとうございます。綺麗なところでしょう」
「ああ」
当り障りのない会話のはずなのに、縋られる腕は力を緩めない。
きゅうと抱きしめられて、少しの苦しさに視線を持ち上げれば
葉陰から差し込む一筋の光が色素の薄い瞳を焼く。
それはまるでこの人自身。
あまりにも眩しすぎて、眩暈のように視界が反転する。
「……弁慶、俺はお前を閉じ込めてはいないか」
その白と黒の曖昧な視界の中、くらくらする頭で聞いた脈絡のないその言葉。
「……え?」
「俺のもとではなく、故郷にいればお前はいつでも太陽の匂いのする生活ができるのかと
…そう、思ったんだ」
…何を馬鹿げたことを。
この地を捨てた。棄てられた。
どちらにせよ、日の当る生活など幼少のころから望むこともしなかったこの身に。
明るい世界の君はその世界の理を持って、その悲しみを論じるのか。
ふと、抱きしめられているにもかかわらず、とてつもない距離感を感じて芯が冷える。
「……僕を、傍に置きたくなくなりましたか?」
そう告げると、拘束していた腕が勢いよく解かれた。
「そういうわけじゃない!ただ……」
必死な瞳。否定の言葉が返るのは分かりきっていて
絡みつくような執着を肌で感じるからこそ、僕はこんな無体な言葉を君に投げかけられる。
「……誇ることのできる故郷、そして思いを繋ぐ肉親がいる場所の方が、
俺と共に修羅の道を歩むより…。」
真っ直ぐに、でも見当違いに僕を想うそのまごころ。
「…九郎。僕は故郷を棄てた身です。望郷の念はないわけではありませんが、それでも」
その顔に届くか、届かないか。
その距離で手を伸ばして。
ただ、指先が触れるだけの距離で。
「貴方の傍で、貴方の匂いを感じる距離にいるならば、どんなところでもかまわないんです。
……閉じ込めてくださっても、かまいませんよ」
ふ、と腕を下ろすと、触れられることを期待していた九郎の眼差しが喪失に揺れる。
「…傍に、置いてください」
近くても遠いのに。世界が違うというのに。
明るい世界を憎んで、忌み嫌って、
それでも向こうの世界の君の腕が愛しくて仕方がない。
「太陽の匂いは、君からの移り香でもらえれば充分ですから」
作り物でなく、でもまるで作り上げたように艶やかに微笑を浮かべてみせる。
…僕の世界の倖せは君から理解されないものでもかまわないと。
この身が血と泥の匂いに染まりきっても、逃れられない薄昏い慕情。
それに思考から囚われそうになっていると
次の瞬間には、再び手を引き寄せられ陽の当る腕の中へ。
「……悪かった。…もしかしたら、否定して欲しくて、口に出したのかもしれない」
愛しい場所。求めた場所。
故郷を棄てても余りあるぬくもり。
「……仕様のないひとですね」
移り香を求めて首筋に唇をよせれば、
遠く彼方で忘れたはずの懐かしい波の音が聞こえた。