『び』:ビフォーアフター

「はぁ…」
雨に打たれた花のように、しおれたため息が零れる。
「……ふー…」
この心持を表すように、間をあけずもう一度。
するとぼろぼろと不穏なものを垂れ流された九郎の眉間に一筋の皺が刻まれた。

「…なんだ、鬱陶しいな」
「ああ、すみませんでも…っつ!」

はぁ、と再び胸の中のわだかまりを押し出すように吐息をつけば、
それを封じられるように強く突き上げられた。

「っぁ…なんですか、不躾…に…」
「…おまえが…景気の悪いため息ばかりつくからだ」

こんな状況で、と口を尖らせる姿は小さな子どものようで
ぎしり、と軋んだのは床だけでなく九郎の自尊心だったのかと苦笑する。
九郎の下で九郎の腕の中に囲われたまま、のそれらは
確かに失礼だったかと思わないでもないけれど。

……いつのまにかこの胸に澱のように沈んだ思考はどうしようもない。

むくれたままでそっぽを向いた彼のご機嫌を伺うように
首に回した手に力をこめ、その背を包み込む。
その温もりに不貞腐れて強張った背がゆっくりと融けてゆく
その素直さは、昔のままに酷く従順で。

やっぱり悪態の一つもつきたくなってしまう、自分の性根に苦笑する。

「…九郎が…いけないんですよ。勝…手にこんなに大きくなるから」
「…なんだ、それは」

小さく心に影を落すもの。
それは譲に見せてもらった幼い頃の『写真』というもの。
紙の中で変わらない小さな譲と望美を見て、可愛らしい彼らを見て。

不意に抱きすくめられた九郎の腕の中の広さと逞しさに
理不尽な想いが湧き上がるのをとめることが出来なかったのだ。

「……ちょっと前はこんなことはしなかったし、僕よりちいさくてかわいかったのに」

あの『写真』のふたりなんかよりも、ずっと。
それなのに今ではすっかり外見ばかりが大人びてかわいくない。
ずっとずっと抱きしめて、守って愛でてゆくと決めたのに。

ため息の種明かしをすれば、それこそ心外だという顔の九郎。
そんなところはほんの少しだけかわいいのだけど。

「…何を今さらバカな事を言ってるんだ」
「…っ…ん…!」

触れ合う唇を深くして、ムダ口を叩くのを封じようとするのはかわいくない。
まだ稚拙だけれど舌を絡めて、吸い上げる手管や
「それに…今日はお前から誘ってきたんじゃないか」
…口付けに軽く酔わせておいて、唇を触れ合わせたままで文句をいうところなんか
すごくすごくかわいくない。

「…ええ、そうでしたね……っ…、だっ…たら」
「……弁…慶?」

深くこの身に押入った九郎の胸に両手をついて行為の継続を阻止する。
戯れではない本格的な拒絶を感じ取って、九郎の瞳が不安そうに揺れた。
「……べんけ…?」

…我ながら悪趣味ではあると思うけれど。
その傷ついたような眼差しに自分に向けられた執着を感じ取って満たされる。

偉そうな態度も、抱きしめるときの力強さも、この身を快楽に導く手腕もあるくせに
こんな下らない否定だけで棄てられたちいさな子犬のような目をしてしまうこの人が

「……もう。そんな顔は反則です」

変わらず僕の一番かわいい、大切なひと。

「僕から誘ったんだから、…今日は僕に抱きしめさせてくださいね」

起こした九郎の身体の上に乗り上げるようにして、その頭を抱きすくめる。
柔らかく解いた髪に指を差し入れて、何より大事な者を護るように、愛でる感覚。
…あたたかい。かわらない。

こんな風に、辛そうな九郎を何度抱きしめただろう。
そして、それはこれからも続いていく。大きさや形が変わっても。
立場や時空さえ変わったとしても。


「…っつ…んぁ…」

望んで手に入れた、彼の上で彼自身を受け入れる体勢。

秘められた箇所に感じる僅かな苦痛も不安定さもある。
けれどもそれ以上に、九郎の額に楽に口付けを降らせることのできる高さも、
感じ入る表情を盗み見る悦びも、主導権を握って彼に奉仕する楽しみも棄てがたい。

「九郎…やっぱり、君は変わらずかわいいですよ」
「……っ、五月蝿い…」
「…ふふ、そういうところが…っあ!」

九郎の眉間の皺は、今は快楽によって刻まれたもので、
うっすらと目を開けてこちらを伺う視線も、不意に腰回りに悪戯を仕掛ける指先も
とろりとした甘さに満ちている。

「…勝手に…大きく…なっても…、僕を…思うがままに蹂躙しても、っつ!」
「………弁慶…っ…」

僕が感じていた不安も、九郎が感じた不機嫌も
肌を合わせた温もりの中に四散していって、熱に変わり昇華されてゆく。

『写真』のように残すことは叶わなかった可憐しく幼い日々。
それは今もこの身と抱きしめる愛しい身体に面影と思い出として残されている。

ゆっくりとひとつになって融けゆく過程で二人で見る夢は、
きっと『写真』などに頼らずともあの頃に届くはずだから。
羨む必要はない。そんなものいらない。…だからこの人を離さない。

そして、それはこれからも続いていってくれるのだろうか。
例えば何かが変わっても…?

「……そんな風に縋るお前が、いちばん…かわいいと思うぞ…」

所在無く行く末を願う指先を、力強く掴んで離してなんかくれない君だから
…多分きっと、この腕からは逃げられない。


 
び:ビフォーアフター(九郎×弁慶)

「痴話喧嘩」が読みたいというお話しを戴いたので痴話っぽく。
弁慶が小さい九郎のことをかわいくてかわいくてかわいくて仕方なくて
君は僕が護ります!って母心垂れ流しているのが好きです。(妙)
そんなべんけいはいやだ。でもすき。ギャグにしかならないけど。
私が九弁なのは弁慶で九郎を愛でたいからかもしれない…。

2006/04/04 harusame
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