『り』:療養生活

この世界に辿り着いて、気が緩んでいたのだろう。
怨霊との戦いで手傷を負った箇所が未だにじくじくと痛んで止まない。

「さ、九郎診せてください」

彼の声は、この平和な世界においても凛と響く。

「……ああ、頼む」

それは治療という行為に対して潔癖なまでに真っ直ぐな弁慶の姿勢を表すかのようだ。
そんな彼の揺るがなさは、波紋のように心を波立たせる不安と焦燥を鎮めてくれる。

「処置が遅れたせいで少し化膿していますが、だいぶよくなってきていますね」

手馴れた手つきで血糊の乾いた布を慎重に剥がし、
体液が滲む箇所を「おきしどーる」という酒よりも沁みて、妙な泡の立つ液体で拭う。

「そう言えばこの間、譲くんに使えそうな薬草のとれる場所がないか聞いてみたのですが……」

黙々と手動かしながらも、要所要所に使われる見慣れない薬品に
眉を寄せて弁慶がつぶやいた。

「やはり、こちらの世界では難しいみたいです」
「……確かに……な」

ここしばらく、二人で散策した景色を思い浮かべる。
綺麗に整えられた庭や、小さくこじんまりとした木々の間の草花は綺麗に抜き取られ
街すべてが大きな作り上げられた庭園のようだ。ここが兄上の作った都の後世の姿といえば
微かに誇らしいが、得られない薬草の代わりに得体の知れない薬を塗りこまれるのも
あまり気分のよいものではない。

つんと鼻をつく薄荷に似た香りのする円形の容器を開け、半透明の軟膏を指に絡めて
弁慶は不本意そうにもう一度ため息をついた。

「……本当は、どのような作用をするかわからない薬品を塗布するのは気が引けるんです。
容器の文字を読んでも九郎じゃ舌を噛みそうな名前ばかりでよくわからないし…それに」

弁慶は指の軟膏を塗りこめるために傷口に近づけた指を、不意に止めた。

「僕以外の何かが君に作用するってなんだか少し癪に障ります」
「……な………?!」

俺が舌を噛みそうな名前と効能がわからないのは関係ないだろ!
大体、弁慶が作った薬だってある時は不穏な煙が出ていなかったか?!怪しいだろ!!
何により得体の知れないのはその細い指の薬ではなく、おまえの思考だ!!!!

わなわなと震えるだけで言いたい言葉のひとつも紡げないこの口が戸惑っている
間に、患部にはひんやりとした「めんたーむ」のべたつきよりもあっさりとしていて
暖かいもの…弁慶の唇…が触れてきて、想いも思考もすべて真っ白に消し飛んでしまう。

「あ、やっぱりなんだか副作用が出てるみたいですね?」
顔、真っ赤ですよ?とこみ上げる微笑をかみ殺すのは先ほどまで触れていた
ぬくもりを残す唇。癇癪持ちのその艶やかさに目を奪われかけて、慌てて視線を逸らした。

「っ!あんまり茶化すなら、将臣に『病院』というところにつれていってもらうからな!」
まるで胸の病にでも罹ったかのように、急いて脈打つ心を抱えて零れた棄て台詞はあまりに情けないものだった。
「……おまえに診てもらったんじゃ、動悸がして仕方がない!!」

一瞬きょとんと驚いたように目を丸くした弁慶は、噴出すようにふ、と息を吐き出すと悪戯な色を瞳に浮かべて微笑んだ。

「…それこそ、こちら世界の『治療』でも治らないと思いますが…」
「…………」

その声ひとつで不安も焦燥もたちどころに消えてなくなってしまうのだが。
やはりその声と瞳に惑わされ、蹌踉めくのも癪に障る。

「大丈夫ですよ。僕がきちんと診てあげますから」
膨れっ面のままあらぬ方向を向いていると、こちらの沈黙を破るように、べたりと患部に冷たさが滲んだ。

「だからそんな顔しないで。可愛い顔が台無しですよ」
白旗をあげるか、もう少し突っぱねるか。
どちらにせよ軍配の見え隠れする駆け引きに、腕の痛みもしばし忘れてため息をついた。


 
り:療養生活(九郎+弁慶)

「り」は最高潮に没だしまくりでした。
書いている途中で弁神子になったり、弁ヒノになったり突拍子もない奔放振り。
いいかげんカウントダウンも終わらせたいので没の中でも無難なお話をチョイスです。
ギャグなのか…ぼのぼのなのか…自分でも何が書きたかったのか…
でも九郎が本当に病院に行ったら(よっぽど重症でない限り)弁慶さんが拗ねてくれるとかわいいかと思います。
あてつけにナースプレイでもするといいよ。(おいこら)

2006/09/17 up *九弁没小話発掘祭り*
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