この唇を好んだものは沢山いたと思う。

紅く熟れたような舌と濡れたそれが合い交わり、欲望を満たすために慰める所業。
その道具としての唇。

軽い嫌悪から顰める眉は劣情を煽ると、下卑た眼差しで語られたことは。


「……おまえの唇が…好きだと思う」
同じ言葉を、時折君も僕に投げつける。

伴うのは、口淫を強要する腕でなく、仔犬がじゃれ付くような微笑ましい口付け。

「…そうやって、微笑を敷いて、穏やかな声音で俺の名を呼ぶその唇が」
「……くろう」

何より好きなんだ、と。

僕以外の部下の前でなど到底見せない、無邪気で子供のような笑顔を零す。

君は不思議な人だ。
そう言葉にされた途端、唇は操られたように君が望む形を形作る。
けれどそれは嫌悪ではなく、酷く満たされた気持ちが溢れて自然と。

「君のその唇だって不思議です」

吐息すらかかる距離でひとつの夜具に包まったまま、その小さな謎へと指を滑らせる。

「そんな睦言めいた言葉を平気で漏らすこともあるというのに」

ゆるゆると撫で上げ、その後を辿るように口付けを落として。

「普段は酷く初心で、肝心な愛の言葉も囁けやしない」
「べ…別に、普段からそんなもの吐く必要ないだろう」

純情なそれが少し狼狽えるとほんの少しだけいい気になれるのだ。

「そうですか?僕は君に、いくらでも言いたいですけど……」

言葉にすることで、噛み締めることができる。
君が盛大に照れたり青くなったりするのを見ると、
君に僕が届いていると僅かに実感することができる。

「君が好きだって言ってくれた唇で……」
伝えて、音にして。

君が好んでくれたものが
嫌悪も策略も諦めも飲み込み、それらが溢れるのを
押さえるための道具ではないのだと。

……それは時折訪れる、冷気のような思考。

「……お前に、好意を伝えるのは難しいんだ…」
それを敏感に感じ取ったのか、はたまた只の偶然か…少し、困ったように九郎が笑う。
「お前の頭は回転がよすぎて、余計なことばかり考えるから」

そんな不器用で繊細な優しさに、僕の方が戸惑ってしまう。

「九郎の言葉に無駄なものなんてないじゃないですか」

「謎かけできるほど余裕がないってことか…」
「そんなことは言ってませんてば」

否定して見せているというのに、頬を微かに膨らませて
九郎がむっつりと押し黙る。
そんな子供じみた反応が楽しくて仕方がない。

「懸命に伝えてくれて、それが行き詰ると……んっ」

『急に黙り込んで態度で示したりしてしまうそんなところも』

その言葉は、内容そのままに九郎の唇に吸い取られた。

急に引き寄せられた勢いで歯列を割り、
舌で戯れれば口から吐き出される文字列など唯の濡れた音と化す。

「……ん…くろ……」

もう、口先で追い詰められないように指先でこちらの動きを封じてくる。
先刻まで散々甚振られた跡を反芻するように、優しく辿られれば、
思いもよらない甘い喘ぎが唇から漏れた。

「…お前に口で勝てないことくらい分かっている」
「……そんなこと…ない…くせに」

悔し紛れに、その唇を柔らかく食んでその先を強請る。
「君の、唇……本当に不思議です」

こうしてこの身も心も解いてしまうのは、
君のその唇だけなのだから。



くちびる:2008/01/23 

『かまととぶるんじゃありません!』…という理由でボツになりました。
後半は結構ヤる気まんまんだったのですが
せっかくなのでカマトトバージョンで。

harusame

静かで穏やかな時。
日々の雑務から開放された山里での一夜に充ちるのは平穏であり、
その中での思考は緩やかな回顧を導き出す。

灯りとして持参した油の残りも少なく、ただ横になるだけの長い夜。
疲れることに慣れ切った身体は、瞼を落とし眠ることもできる。
しかし、この殊更ゆったりと流れるような夜長に
少しだけ冴え冴えとした冷たい空気に半身を起こし、傍らを盗み見た。

そこには『一晩時間が取れるか?』と唐突に尋ね、あれよあれよという間に
この小さな庵に僕を連れてきた九郎が、簡素な夜具に包まって寝息を立てている。

持ち込んだ酒の肴に、何気ない話をしているうちに
九郎の目頭がとろとろと蕩けてきたのは一刻ほど前の話。

「まったく、自分が一番疲れているのに……」

この霜月の一番冷え切る時期に、産み堕とされた記憶。
それが心に影を落とすのか、毎年この時節には自分という存在が
この凍てついた世界に融けてゆくような感覚が繰り返す。

それを源氏の雑務によってたまった疲れと解釈し、こんな風に
甘えさせてくれる彼の温もりに触れて、何度自分を取り戻したのだろう。

もともと傀儡のように虚ろに生きていた。
彼に出会ったのはあまりにも偶然だったのに、
九郎に触れられて、当たり前の感情を与えられる度に、
僕は人のように生まれ変わっていった。
何度も何度も抜け殻の己を脱ぎ捨てて、今まで。

「九郎……」

その名を噛み締めるにように口にすれば、
ほんの僅かな距離さえ憎らしく、その腕が恋しくて堪らない。
忍び寄るようにその傍らに滑り込むと、そこに警戒などなく
僅かに開いた瞳が困ったように眇められた。

たった二人きり。山中の忘れられたような小屋の中で
その僅かに開かれた唇に吸い付けば、胸に灯る熱。

「……っ…」
「……どうした?」

吹き込まれる君の息遣い。
その吐息で再び人形に戻りつつあったこの身が再び息を吹き返す。
「…そういえば…もう、お前が生まれた日になった頃か?」
「……ええ…そうですね」

生まれた日、なんて疎ましい日。

「……そうか…おめでとう」
「ありがとう…くろう」

柔らかく抱きとめる胸のぬくもりに頬をゆだねて、
伝わる鼓動に瞳を閉じた。

……不思議だ。
現金すぎる自分に押し付けた頬が幸せな自嘲に歪む。
九郎の腕の中で守られ、慈しまれる最中、
凍えるような思考はもうこの胸に届かないのだから。


生まれた日:2008/04/10 

私はどれだけ九弁のピロートークが好きなのかと思うわけで。
こんな話他にも書いた気がしますが、
すきなんだからしかたないぴろーとーく。
おばかのひとつおぼえとよんでください。

このあとはどさっとあっちになだれ込めばいいなあとおもいますv


ゆっくりと衣の上から肌を辿るように、背中まで回された手が不用意に止まった。

「……どうしました?」

腕の中、酷く近い位置で見上げる先には九郎の不可解な顔。
「お前、少し痩せたか?」
「……そういえば」

ここのところ、龍神のことや今後の戦のことで何の気なしに忙しく、
夜遅くまで書物に相対する日々が続いていたような気がする。
所用によって碌に食事を取れなかった日も。

考えを巡らせている間も、ゆるゆると撫で擦る手つき…から一転、
九郎はまるで身体検査を行うかのように迷いのない手の運びで
二の腕、腰、手首などを検分する。
そして、ほんの少しだけ、むっとしたような顔でこちらを見据えた。

「俺には自己管理をしっかりしなさいとよく言うだろう。
そのお前が触れて分かるほどやつれてどうする!」
「あははは、すみません。そんなに変わらない気はしていたのですが……」

困った小言から逃れようと身を捩れば、逃すまいと心配性な腕は
拘束を強くする。観念したようにもう一度見上げれば、
予想外に寂しげな目で瞳を逸らされた。

「普段外套を纏っていたりするせいか…毎日会っていたのに
弁慶がこんなに痩せたとは気がつかなかった」

次に聞こえる言葉はどちらかというとあまり聞きたくなくて
言葉を重ねるように、こちらの意思を口にする。
「……すまな…」
「そうですよ、九郎のせいです」

「……っ」
言葉を遮ってまで投げ掛けられた非難に
九郎が短く息を飲む。

「ねえ九郎…それは今まで分からないほど長い期間、
僕は君に触れられていないってことでしょう?」

冷たい言葉に吸い寄せられた瞳を拘束するかのように
目を細めて、小さな声で囁いた。


「だから、君のせいです」


微笑みを敷いた甘い言の葉。
こちらからも背中に腕を回せば、
安堵の様な呆れたようなため息が頬を擽る。

「……そうだったな。確かに」
「そうですよ、本当に。だから今日は多少抱き心地が悪くても勘弁してください」

頬に当てられていた掌をとり、首筋から胸元へ、袷の中へと導けば
ざらついた指先が悪戯に胸の頂を掠める。
ぞくりと湧き上がる、えも言われぬ痺れに空気が独特の艶やかさを取り戻してゆく。

「こうやって許すのは君だけなんですから、君の望むかたちでありたいです」
「俺は、お前が息災であるならばいいのだが……」

ささやかな願望ですら志の下に無意識に押し込んで気がつけないような
君だからこそ、出来うる限りは君の望むこの身でありたいと。
触れるか触れないか、彼の吐息で唇が潤いそうなほどの距離で、小さく告げる願い。

「それでも……いつでも触れて、僕に教えて……?」
望むことでも、不満でも、どんな些細なことでさえも。

もう一度、いつもより骨の浮いた鎖骨や腰周りを辿る心地よい手と共に
九郎からの言葉は、唇に落ちて濡れた音に変わった。


検分:2008/08/15 

一時期、色っぽい展開の際に弁慶さんの身体の肉付きをどう表現すべきか…?
と真剣に悩んで、細くて男にしては華奢な感じとか上半身鍛えているので胸元しっかり系とか
男なのにそれなりに柔らかで抱きしめるとほっとする系とかいろいろ書いてみて試行錯誤した
どうしようもない記憶があります。九郎さんはやわらかいのが好きそうですが。

今回は自分があまりに肥えたので書いている最中のテキストタイトルが「脱メタボ」でした。


無機質な音が、まどろみの中に割り込んでくる。

浮上する感覚と漂う錯覚。
ずっしりと重い身体と頭は夜が白み始めるまで書物を捲っていた代償。
まだ夢現に留まりたいという身体の主張のままに、目覚まし時計を
止めるのは日常茶飯事になっていた。

「……う…ん……」

望美さんの世界に留まって、一番素晴らしくて一番厄介であったのが
夜を明るく照らす照明の存在だと思う。薄暗く、風にすら危うく揺れる灯りの元、
小さくなりながら書物を捲っていったあの頃とは違う、真昼のように鮮やかな光。

興味深い資料や知っておくと便利な知識が溢れるこの世界で
知的好奇心に従えば、眠る時間など殆どなくなってしまう。
ましてや、望めばいつでも真昼の明るさのもとでそれらを
吟味することができるという。
そこまで恵まれて尚、自らの愚かな習性に抗えるほど自分は
辛抱強い人間ではなかった。

「……けいっ!まだ……のか?!」

包まった寝具の温もりと静寂に安堵し、再び意識が沈みかける頃合、
遠く聞き慣れた声がした。

騒がしく、それでも耳に優しい声。
惰眠への誘いを断ち切るように再び。

「弁慶!!もう起きる時間じゃないのか?!」

はっと現実に引き戻されて、瞼開くと窓からは眩いばかりの朝の光。
朝を反射して輝く、君の少しだけ短くなった、それでも長い髪。

「……くろう…おはよう…ございます」
「まったく…こちらの世界に来てからと言うもの、すっかり寝汚くなったな」
俺はお前の目覚まし時計か、とぶつぶつ膨れる九郎の顔に目を細める。

それは、ある意味平和であるという証。
そしていつの間にか君が毎朝起こしてくれるようになった、
そんなささやかで幸せな瞬間を迎えるための言い訳。

「今日は一緒に出かける約束だろう?朝食にしよう」

そうやって去っていく後ろ姿に、手に入れたこの一瞬の幸福を噛み締める。
あの時空でも、そして遠く離れたこの時代でも
いつでも僕の夜明けは、君と共に訪れる。


新しい朝:2008/11/04 

ブログに上げたものを正式アップ。
『同棲しているんですね!』というコメントを頂き、
九郎さんと弁慶さん2人は二人で住むのが当たり前だと思い込んでいたので
同棲という甘美な響きにあとでくらくらしました。

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